われわれの研究は,「液晶における非線形非平衡パターン形成」である.つまり,系を非平衡状態においたときに現れる構造(われわれはパターンと呼ぶ)の発生や不安定化のメカニズムを,非線形物理学のひとつとして,液晶を用いて研究している.具体的に観測しているのは,「液晶の電気流体力学的不安定性」と呼ばれている現象である.

1.「液晶の電気流体力学的不安定性」とは?

1-1. 液晶とは?
 通常の物質は,固体の状態から温度を上げていくと,ある温度で融解して液体になる.一方「液晶」と呼ばれる物質では,固体状態から温度を上げていくと,ある温度で,白濁しているが充分な流動性をもった“液体”になり,さらに温度を上げていくと,またある温度で通常の透明な液体になる.この白濁した“液体”を偏光顕微鏡で観察すると,結晶のもつ性質である「光学的異方性」をもっていることがわかる.このように,液体の性質である「流動性」と固体の性質である「光学的異方性」の両方をもつ状態を「液晶相」といい,相系列の中に液晶相を含む物質を「液晶」と呼ぶ.
 液晶は通常,棒状の有機物分子からなる.固体状態では,すべての棒状分子がある方向を向いて固まっている.温度を上げていって液晶相に入ると,融けて“液体状態”になるが,分子の向きだけは揃ったままである.つまり,分子の重心は自由に動けるようになるが,すべての分子が同じ方向を向いているという性質はまだ残っている.さらに温度を上げて液体相に入ると,分子の向きに関しても自由に動けるようになる.
 固体状態では,分子の揃った方向(これをディレクター
nと呼ぶ)とそれに垂直な方向では,誘電率,磁化率,屈折率等,あらゆる性質が異なる(これを異方性と呼ぶ).これは通常の結晶と同じであるが,液晶状態になって流動性をもつようになっても,分子は揃ったままなので,これらの異方性は保たれる.

1-2. 液晶の“使い方”
 最も一般的な液晶の使い方は,数ミクロン〜数10ミクロンの間隔の2枚のガラス板の間に液晶を挟む方法である.このガラスには透明の電極が蒸着されており,液晶の電場に対する応答を直接観察することができる.またこのやり方は,液晶をディスプレイとして使う場合も基本的には同じである.このような方法で液晶を使うためにガラス板の間に液晶を挟んだ物を「セル(cell)」と呼ぶ.
 このガラスには,さらに「配向剤」と呼ばれる高分子の薄膜も塗布されている.配向剤には2種類あり,それぞれによって「Planar配向」と「Homeotropic配向」を作ることができる.
Planar配向とディレクターnがガラス板に平行な場合で,Homeotropic配向は垂直な場合である.液晶は,前述のように分子がある方向に揃う性質があるので,Homeotropic配向の場合,上下の高分子膜に接した分子のみを垂直に揃えてやれば,セル中の分子はすべてガラス板に対して垂直に揃う.ところがPlanar配向の場合,液晶は基本的には柔らかい物質なので,数cmのオーダーで自然に揃うことは難しい.そこで,その高分子膜をある方向にこすってやることによって分子の揃う方向に向きをつけてやれば,数cm〜数10cmのオーダーで均一なPlanar配向を作ることができる.この高分子膜をこするという操作は,「ラビング」と呼ばれている.

1-3. 電場に対する異方性 −Fréedericksz転移−
 前述したように,液晶の様々な性質はディレクターnと平行な方向と垂直な方向で異なる.例えば,ディレクターnと平行な方向の誘電率が垂直な方向より大きい液晶(このような液晶を「誘電異方性が正である」と言う)では,あるしきい値以上の電場に対してPlanar配向が不安定になり,分子はガラスに対して平行ではなくなる.このような不安定性を「Fréedericksz転移」と呼ぶ.この不安定性は,液晶をディスプレイとして用いるときの最も基本的な手法である「ねじれネマティックセル(Twisted Nematic Cell)」の動作原理でもある.

1-4. Williams doaminと電気流体力学的不安定性
 誘電異方性が負の液晶をガラス板の間隔が数10µmのセルに封入してあるしきい値以上の電場を印加すると,「Williams doamin」と呼ばれる明暗の周期構造(その周期はほぼセル厚程度)が現れる.これは,セル内に電場によって対流が発生し,その対流によるずり応力によって液晶分子の配向が歪み,屈折率の異方性によるレンズ効果によって,対流構造を反映した明暗の「パターン」が現れたものである.対流発生によって初期のPlanar配向が不安定化する現象は,「電気流体力学的不安定性(Electro-HydroDynamic instability,EHD)」と呼ばれている.

1-5. Carr-Helfrich instability
 EHDの基本的メカニズムは,弾性,粘性,電気伝導,流れ等の要因を考慮して,「Carr-Helfrich instability」としてまとめられている.これによって,液晶の物性物理学的興味から言えばEHDの問題は解決されたと言える.したがってすでに,EHDはたいていの液晶物理学の教科書,例えばP. G. deGennes(1992年 Nobel物理学賞)著『The Physics of Liquid Crystals』等にも取り上げられており,非常によく知られた現象となっている.確かに,一様な電場に対してmacroscopicな周期構造が現れることと,それが液晶自身の対流に起因していることから,Williams doaminは初期の液晶物理学の研究者に対して魅力的な問題を提供したであろう.教科書に載っているEHDについての記述は,異方性流体のNavier-Stokes方程式,弾性トルク方程式,Maxwell方程式などからなる基礎方程式群を出発点としており,さらに光学顕微鏡像の理解のためには液晶中の光の伝搬も考慮しなければならず,液晶物理学の恰好の演習問題となっている.ただしそこで議論されているのは,対流に伴う液晶の局所的な線形安定性のみである.


2.液晶における非線形非平衡パターン形成

2-1. 「散逸構造」と対流現象
 初期に非平衡状態にある系を孤立させてそのまま放置すると,系はやがて平衡状態へ緩和していく.ところが,外界からエネルギーを取り込み続けるなどして非平衡状態が保たれると,平衡状態とは全く異なったふるまいを示す.加えられたエネルギーを別な形に変換して放出することによって系内にエネルギーのマクロな流れが生じ,さらにその流れにともなって驚くほど多様で興味深い現象が現れる.「非平衡開放系」とよばれるそのような性質をもつ系に対する関心は,近年非常に高まりつつある.
 非平衡開放系の現象の代表例のひとつである「対流不安定性」には,2つの回転円筒内の流体に生じる「テイラー・クエット不安定性」と「レイリー・ベナール(RB)不安定性」の問題がある.(前者は『ファインマン物理学IV 電磁波と物性』の「20-6 クエット流」参照.)
 本研究と特に関連のあるRB不安定性の問題は,2枚の平行平板間に入れた流体を下から熱することによって重力のはたらく方向に一定の温度勾配を与え,それによって非平衡状態を保持したときの流体のふるまいを調べるものである.下の平板付近で熱せられた流体は熱膨張によって相対的に軽くなるため,系は不安定な状態にあり,軽い流体は上方へ,重い流体は下方へ移動することによってその不安定状態を解消することができる.しかし温度差が小さいときは,流体の運動は粘性抵抗によって阻止され,熱拡散のみによって不安定状態が緩和される.温度差がある臨界値を越えると,熱拡散だけでは不安定状態を緩和することができなくなり,流体は粘性抵抗に打ち勝って運動を始める.そうして,熱せられた流体は上昇し,上方で冷やされて下降し,持続的な循環運動すなわち「対流現象」が発生する.
 対流現象に限らず,流体運動一般を記述する方程式は,Navier-Stokes方程式
(1)
である.ただし,密度ρ,温度Tの流体が速度vで運動しているとし,pは圧力,gは重力加速度,νは粘性係数である.また熱の輸送に関しては,比熱が温度によらず一定であるとし,κを熱伝導係数とすると,
(2)
によって表わされる.(1)中の(v・∇)vと(2)中の(v・∇)Tは,流体が流れることによって非線形性が生じることを示す慣性項である.例え非平衡開放系であっても,(2)式の慣性項を落とした熱拡散のような線形過程によってエネルギーの収支バランスを取っている間は非平衡開放系特有の興味深い現象は生じない.非平衡の度合を強くして系内に流れが生じると,その流れ自体が非線形性を生じ,多様な「不安定性現象」を引き起こす.
 そのような非平衡系に現れた非線形現象(以下「非線形非平衡現象」とよぶ)は,空間的秩序構造として現れる場合がある.RB不安定性において静止状態が不安定化して対流が生じると,ロール状に規則的に並んだ流れのパターンが系内に形成されるが,これが空間的秩序構造として現れた非線形非平衡現象の一例である.
 熱平衡系においても,結晶における原子の配列などに空間的秩序構造の自発的形成が見られる.ところが,結晶は構成要素である原子やイオン,分子などの性質によって決まるミクロな周期性をもつのに対し,対流構造の場合は,物質のミクロな性質よりも(1),(2)で表わされるような流体としてのマクロな性質や系全体の幾何学的形状や境界条件によって決まるマクロな周期性をもつ.単位構造に含まれる構成要素の数は,結晶ではせいぜい数個〜数100個程度なのに対し,実験室で用いる程度の大きさの対流系ではアボガドロ数程度になる.
 そのように,非平衡開放系において形成される秩序構造はその形成機構やふるまいが熱平衡系の場合とは大きく異なっており,I. Prigogineらは,熱平衡系における秩序構造を「平衡構造(equilibrium structure)」,非平衡開放系における秩序構造を「散逸構造(dissipative structure)」と呼んで区別した.対流系に生じたロール状パターンは,散逸構造の代表例としてさまざまな観点から研究が進められている.
 対流系において,外部から変化させることのできる上下平板間の温度差は,系のふるまいを決める最も重要なパラメータであり,「外部パラメータ」あるいは「制御パラメータ」とよばれている.外部パラメータをさらに大きくしていくと系の非線形性・非平衡性が強くなり,ロール状パターンは不安定化し,非常に特徴的な遷移過程を経て最終的に空間的にも時間的にも非周期的に変動する「乱流状態」へ至る.その過程は,「乱流への遷移過程」としてこれまで数多くの研究が行われている.
 静止状態が不安定化してロール状対流が生じる不安定性を“primary instability”とすれば,ロール状対流パターンの不安定化は“secondary instability”とよぶことができる.secondary instabilityには空間構造に着目する観点と時間構造に着目する観点があり,どちらの観点についても,外部パラメータを大きくしていったときに,ある状態が不安定化して別の状態が突然現れる「分岐」とよばれる概念が重要となる.
 まず前者については,一方向のみに周期をもつ1次元周期パターンであるロール状パターンが不安定化して,ロール軸方向に周期的な歪みが生じ,2次元周期パターンが現れる.時間に関するsecondary instabilityは,定常な流れのパターンが不安定化して対流構造自体の大局的な振動が生じる現象である.最初に現れる振動は,「リミットサイクル振動」とよばれる非線形周期振動であり,これは時間的秩序構造として現れた非線形非平衡現象の一例である.また,この乱流への遷移過程の時間的な側面は,近年は「カオス」とよばれる概念と結び付いて非常に活発に研究が行われている.

2-2. 散逸構造の研究対象としてのEHD
 現在も数多く行われている液晶のEHDの研究のほとんどは,前述したような液晶の示す物理現象のひとつとしてよりも,非平衡開放系の散逸構造(これとほとんど同じ意味で「非平衡パターン」あるいは単に「パターン」という言葉を使う)の形成の物理学の優れた研究対象としてである.
 異方性あるいは内部自由度をもつ流体である液晶のEHDは,等方性流体の熱対流の単なる別形態,あるいはただ闇雲に複雑化させただけに見える.しかし,その異方性を上手に手なずけてやれば,対流現象の一般的な特徴をより明確に抽出することのできる優れた実験系や,等方性流体では実現不可能なパターン形成の本質(後述する「対称性」)に関わる対流系をつくることができる.また,外部パラメータが電場で非常に制御しやすいこと,液晶の光学的異方性によって容易に対流パターンの観測ができること,現象のタイムスケールが適度に短いことなど,実験を行う上で熱対流と比較して有利な点も数多くある.
 われわれが研究の対象としているものは「非平衡開放系のパターン形成の数理的メカニズム」であり,液晶そのものではない.液晶は対象と言うよりは手段である.しかしながら,パターン形成の非線形問題を考えるためには液晶の物性物理を熟知しなければならないし,正確な実験を行うためには液晶のふるまいを感覚的に知っておく必要がある.また,液晶を上手に手なずけるための技術も身に付けねばならない.

2-3. 情報の縮約
 『20-6 クエット流』の中でファィンマンが言うように,(1),(2)のような基礎方程式を書き下せばそれで全ての時間空間的パターンを演繹的に記述することができたことになる.しかしその方程式から定性的にパターン形成を理解することは未だにできていない.つまり,これらの方程式は解析的に解けない場合の多い非線形偏微分方程式であり,またその非線形項が実際に現れる非線形現象とどのような関係にあるか完全には理解されていない.また,仮にコンピュータによる数値計算という新しい手法を使って解を求め対流現象を再現したとしても,方程式には対流現象に限らないすべての流体運動に関する情報が含まれているため,対流現象に特有の時間空間的構造の機構を明らかにしたとは言い難い.つまりそれでは非平衡開放系のパターン形成のメカニズムを理解したいというわれわれの研究目的は達成されない.そのため,個々の現象の機構を数理的に明らかにするためには,時間空間的に変動する複雑なふるまいの中から個々の現象を特徴づける情報のみを帰納的に抽出する「情報の縮約」が強力な武器になる.
 上述したように,対流構造は空間的周期構造として現れる場合が多い.周期構造には位相と振幅という定数が含まれるが,primary instabilityの過渡過程や乱流へ至る初期段階では,基本的に周期構造を保ちつつわずかに乱れた構造が現れるので,位相と振幅を時間空間的に変動する量と見なすことによって,そのダイナミクスを記述することができる.流速や温度といった流体変数の中から位相や振幅のみを抽出して議論するこのような理論的アプローチは,情報の縮約の一例であり,それぞれ「振幅ダイナミクス」,「位相ダイナミクス」とよばれ,系のおかれた条件や対象とする現象に応じてさまざまなモデルが提出されている.

2-4. 対称性
 さて,情報の縮約によってパターン形成のダイナミクスを考える上で最も重要なのは,系の「対称性」である.対称性は,現代の物理学において,最も基本的で普遍的で重要な概念である.素粒子論が基礎とする原理が対称性であるのはよく知られているし,物性物理から生物物理まで,物理学を洗練させ普遍化するための原動力となっている.その対称性の考え方は,パターン形成の物理学においても積極的に用いられている.
 対流不安定性が起こる過程を,何もないのっぺらな平面が周期パターンに変わる過程とみなし,さらにそれを「連続的並進対称性の自発的破れ」と考えれば,途端に普遍性をもつようになる.ここで言う普遍性とは,非平衡パターン形成で得られた結論が,一見全く異なって見えるが対称性が同じ他の系にも適用できるようになり,また逆に,他の系で得られた結論が非平衡系のパターン形成を理解するときに役立つということである.
 また,液晶をパターン形成の研究に用いる面白さもこの対称性にある.通常の球状の分子では実現不可能な対称性が,液晶を用いることによって実現できる.非平衡系の対流パターンに限らず,平衡系のパターンや非平衡状態から平衡状態へ遷移していく過程で見られるパターンが,対称性を考えることによって様々な普遍性をもつ.例えば「Ising model」,「Heisenberg model」のようなスピン系との対応をつけることもできるし,宇宙創世のモデルになることもある.そして,液晶系のパターン形成の研究が魅力的なのは,本来目に見えないはずのものが,その光学的性質と比較的大きなサイズによって目に見えるようになるということである.

2-5. Planar配向系とHomeotropic配向系
 1-2で述べたPlanar配向系とHomeotropic配向系の違いも,パターン形成の観点から言えば対称性の違いということになる.Planar配向系は連続的並進対称性をもち,ラビングによって分子はある方向を向いているので,回転対称性は初めから強制的に破れている.そして上で述べたように対流発生によって並進対称性は自発的に破れる.
 一方Homeotropic配向系の場合,並進対称性に加えて連続的回転対称性ももつ.したがって,並進対称性が破れる前に回転対称性が破れなければ(
この回転対称性の破れは,誘電異方性が負の液晶ではFréedericksz転移によって起こる),Carr-Helfrich instabilityによって対流が発生することができない.この付加的な対称性の存在によって,Homeotropic配向系のパターン・ダイナミクスはPlanar配向系の場合とは大きく変わることになる.